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2010年1月

1/29 また、編み始めています!

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昨秋11月から編み始めていたストールが、ようやく出来上がりました。

55cm×150cmです。

グレーの糸が足りなくなったので、赤と紺を足してボーダーにしました。

次はチャコールグレーでカーディガンを編み始めています。

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今シーズンには間に合わないかもしれません。

暖かい陽が射す部屋で音楽を聴きながらの編み物、楽しみな時です。

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1/24 新旧交代

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左側はSEBアルミ製の圧力鍋、20数年使っていました。

煮豆やシチューなどの煮込み、茶碗蒸し・プディングや中華おこわなど蒸し物に重宝していましたが、アルミ製なのでトマトソース料理には使えません。

娘がT-falステンレス製の圧力鍋を引き出物に頂きました。まだ、主婦になる予定がないらしいので、先に母が使う事にします。

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1/23 碑前祭

同志社創立者 新島襄の終焉の地 大磯で、没後120年の碑前祭がありました。

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前の年の12月から療養のために大磯に滞在していた新島襄は、1890年1月23日午後2時20分、百足屋旅館で46歳11ヶ月の生涯を終えます。

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亡くなった時14時20分に合わせて黙祷、讃美歌312番を唱和、大磯町の詩吟連盟の人達によって「寒梅詩」「送歳詩」(新島襄)が朗詠され、大磯町長、学校法人同志社理事長、同志社同窓会東京支部長の式辞があり、最後にDoshisha College Songを歌って、献花しました。

碑庭園では白梅が咲き始めています。

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庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁

♪「庭上の一寒梅、笑うて風雪を侵して開く、争わず又力めず、自ず占しむ百花の魁」と、大中寅二によって曲もつけられています。

参列者に新島襄の好物「おぜんざい(鶴屋吉信)」が配られました。江戸から快風丸に乗って函館に向かう際、松山藩の加納格太郎に別れの杯をしようと誘われ、「私は酒はイヤ、しるこを呉れ」と言ったといわれています。

式の後、会場を大磯町立福祉センター「さざれ石」に移して、同志社創立135周年記念「大磯新島講座」が、学校法人同志社 野本真也理事長によって「新島襄の人と思想」と題して開催されました。

1_23_3 大磯は風光明媚、気候温暖な地、古くから伊藤博文、吉田茂などで有名な別荘地です。

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今日の大磯海岸は波穏やかで静か、海水浴場発祥の地と言われています。

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1/20 大寒

今日は大寒です。一番寒い時期になりました。

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ところが、今朝は陽射しも明るく、暖かい南風が吹いて、空も春霞がかかったようです。

東京の最高気温は17.3度だったとか・・・。

春の訪れはもうちょっと先で良いでしょう。まだ少し寒さを感じていたいと思います。

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1/15 同志社講座 秋学期第4回

今日のテーマは熊本バンド「徳富蘇峰」と「原田助(たすく)」です。

徳富蘇峰(1863-1957)

熊本・水俣で豪農の長男として誕生。熊本洋学校では、L.L.ジェーンズの指導を受けることなく、一期生である上級生の指導を受けました。1876年13歳で東京英学校を経て同志社英学校に入学。入学直後、京都第二公会(同志社教会)で新島襄から洗礼を受け、新島襄の信奉者となります。しかし、自責の杖事件などにより卒業1ヶ月前に退学、キリスト教会とも絶縁しました。帰省して1882年熊本で大江義塾を開設します。1886年東京でジャーナリストとして「将来の日本」でデビュー、民友社「国民之友」「国民新聞」を通じて平民主義の旗手となります。常に同志社のサポーターであり続け、新島襄とは100通以上の文通があり、遺言の書き取りもしました。1888年「同志社大学設立の旨意」を執筆し、1912年政治経済部設立募金委員長として原田助(神学部設立募金委員長)とともに尽力しました。その後、1895年三国干渉以後思想的変貌があり、国家主義者に転身します。戦中、戦後も一貫として変わらず、A級戦犯としてGHQにより公職追放されました。1954年創刊森中章光主筆「新島研究」を終始支援し、今も蘇峰による「新嶋研究」のタイトルが使われています。

原田助(1863-1940)

熊本で鎌田助として誕生。熊本洋学校から広島英学校を経て1880年同志社英学校へ、普通科から余科(神学科)へ1884年卒業。在学中に京都第二公会でM.L.ゴードンから受洗、神戸英和女学校(神戸女学院)の講師も務めました。卒業後、アメリカンボードによる初めての教会である神戸教会の牧師となり、1885年按手礼を受けます。同志社創立10周年を機に同志社校友会の前身である同志社アルムニ会を発足させました。1888年~1896年、8年間シカゴ神学校、イェール神学校、イギルス、ドイツに留学し、国際人としての教養を身につけます。キリスト教ジャーナリストとして、「基督教新聞」「六合雑誌」「基督教世界」などの編集に携わりました。牧師としては番町教会(東京)平安教会(京都)神戸教会を牧会。同志社では、1907年~1919年、第7代総長として12年間務めます。1912年、神学部設立募金委員長として徳富蘇峰(政治経済部設立募金委員長)とともに同志社大学の設立に尽力、同志社の制度化、国際化・・・質量ともに拡大し、「同志社中興の祖」と言われ、新島時代の勢いを取り戻しました。1920年にはハワイ大学に東洋学部を創設し、12年間教授を務めました。

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1/11 太陽の恵み

今日は朝から曇り空、冷え込んできました。

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東京の最高気温6.4度、寒いです!

我が家のリビングは南と西に大きく開いているので、晴れていると、陽が沈むまで20度を超えて暖房要らずです。

太陽の恵みに感謝!

昨秋、胡麻の里でもらってきた生命の宿る葉「プリオフィルム」

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寒くなってから室内に置きました。暖かい陽射しを浴びてスクスク大きくなっています。

1枚の葉っぱの縁から新しい芽が出てきました。

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1/06 夕焼け

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不思議な夕焼けです。

午後になって曇ってきて、お陽様は隠れてしまいました。

夕方、暗い空のまま、雲の切れ目だけ鮮やかな夕焼けになって、西の空に沈んでいきました。

空気が乾燥している真冬の朝日、夕日はとても綺麗です。

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1/04 お友だち

孫娘にとって娘はお友だち!本能的に年齢がちかいと感じるのでしょうか?

孫娘「マキちゃ~ん」 娘「な~に」

孫娘「な~に、マナちゃん!って言って!」 娘「な~に、マナちゃん」

孫娘「な~に、マキちゃん!」と、繰り返します。

一緒にパズルをしたり・・・

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何回も繰り返して,出来上がったその板を手の平に乗せて「おばあちゃん、こちらで~す。」

寝そべってカタログを眺めたり・・・

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「どうしたのかねェ!」が口癖です。

椅子の前後に並んで座り、ガタンゴトン ガタンゴトン・・・

電車に乗ったつもりです。

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乗り物が大好き、家の中の移動はトイレに行くにも、洗面所に行くにも、この赤いイスに乗っていきます。

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台所でおばあちゃんの手許をのぞき込む時には、ひっくり返して台になります。

靴を履いて、あったかいの(コート)着て

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冷え込む中をおかあしゃん、おばあちゃん、マキちゃんとお散歩!

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ブランコやすべり台 で楽しく遊びました。

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「寒いでしょ?」と聞くと、「寒くてもマナちゃん 大丈夫!」子どもは風の子です。

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1/03 お煮しめの天ぷら

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お煮しめの中の里芋、ごぼう、にんじん、たけのこ、れんこんに衣を着けて、天ぷらにしました。

味がついているので、そのまま食べられます。

孫娘が両親とやってきたので、ぶりの照り焼き、ほうれん草と春菊の白和え、おうどんを茹でてお昼のごちそうができました。

お煮しめを豚汁にアレンジする方もあるとか・・・。

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1/01 謹賀新年

明けましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願い致します。

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空が真っ青に澄み渡った朝、元旦礼拝に出席。今年も佳い1年になりますように・・・。

その後、家族そろって例年通りのお節とお雑煮で新年のお祝いをしました。

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祝三品(黒豆、数の子、ごまめ)

伊達巻、かまぼこ、えびの鬼がら焼き、生ずし、鯛の昆布〆、水引なます、菊花かぶら、栗きんとん

昆布巻き、しいたけ、高野豆腐、お煮しめ(こんにゃく、里芋、ごぼう、たけのこ、蓮根、京にんじん、手まり麩)と白味噌のお雑煮

2歳10ヶ月になった孫娘は埼玉県在住、「白いお味噌イヤなの!赤いお味噌がイイの!」と言います。

最初に出来上がっていた鶏ロール煮を出し忘れてしまいました。

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