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2/18 同志社講座 2010秋学期 第5回

「新島襄のことばⅡ」最終回のテーマは「下民の友となれ」です。

新島襄がアメリカ ニューイングランドで学んだ3つの学校は、何れもキリスト教主義(会衆派)の学校でした。高校(フィリップスアカデミー)のモットーはラテン語でNon Sibi「自分のためにではなく」、アーモスト大学の校訓はTerras Irradient「まず、世を照らせ」、アンドヴァー神学校では「隣人を愛せよ」と聖書そのものを学びました。このような教育を受けて帰国し、日本で他者に奉仕し、隣人に尽くす人材を育てたいと考えます。

アメリカでの父ハーディー氏は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25-45)の信仰に基づき、4人の息子と1人の養子がいるところに6人目の新島襄を受け入れました。

新島襄はハーディー氏の影響を強く受けます。「君は慈善家と称せられました。君が慈善の働きを以って畢生の目的とせしは、決して慈善家の名を得るをもとめたるにあらず、神の全く愛、基督の愛によりて鼓舞奨励せられ、遂に身を忘、己れの為に計らす、其の働きによりて神の栄光を世に顕はさん事の求めしなりと思はれます。」

人ひとりは大切なり」新島襄の人格主義を明白に表す言葉です。神の被造物である一人ひとりは、神の前に平等である。という考えが根底にあり、八重夫人や学生、用務員、社会的に身分の高い人にも平等に「さん」をつけて呼びました。あくまでも一人を一個人として徹底的に尊重する人格主義です。

下民の友となれ」「下民」とは今では使われない言葉ですが、現代では「社会的弱者」となるでしょうか。同志社創立10周年の記念式典で、新島が1年半に及ぶ欧米旅行中に7名の退学処分者がでたことに心痛し、「諸君と共に今、往事を追想して祈念したきは、昨年、我不在中、同志社を放逐せられたりし人々の事なり。真に彼らのために涙を流さざるを得ず。」と述べました。

「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を探しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(マタイ17-12~14)

このような新島精神は現在まで延々と継承されています。山室軍平、留岡幸助、石井十次に代表される同志社派の社会事業家が多く生まれました。1928年、神学部に基督教実際問題研究会が誕生し、1931年、社会事業学専攻へと発展します。日本の大学で最初の社会福祉コースです。戦後、神学部から離れ、文学部社会学科社会福祉専攻となり、現在は社会学部に組み込まれています。

真理は寒梅のごとし。敢えて風雪を侵して開く。」新島襄は敢えてキリスト教主義の教育、すなわち徳育(心育)を官に頼らず、私学で実践しようとした教育者であり、宗教家でした。在野精神が旺盛なパイオニアでした。

今回も5回の講座を皆勤、同志社大学から修了証を頂きました。

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