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2012年6月

6/29 第34回演奏会

菊田女声第34回演奏会です。前日には気象情報の雨マークも消え、朝から気温が上がって梅雨の晴れ間になりました。

会場は上野公園にある旧東京音楽学校奏楽堂、明治23年に建てられた木造の洋式音楽ホール(重要文化財)です。

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指揮:八尋和美 ソプラノ:三塚直美 アルト:小川明子 オルガン:荒井牧子 ピアノ:若林千春

♪Messe Sainte Céclie(C.Gounod) Kyrie(憐れみの讃歌) Gloria(栄光の讃歌) Credo(信仰宣言) Sanctus(感謝の讃歌) Benedictus(感謝の讃歌) Agnus Dei(平和の讃歌)

プログラム解説のページにドイツ旅行で撮ってきた、オルガンを弾いている教会音楽とオルガニストの守護聖人聖セシリアのレリーフの写真を載せました。

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♪金子みすゞ詩による童謡歌曲集(作曲:中田喜直 作詞:金子みすゞ)つゆ、こだまでしょうか、みんなをすきに、き、わたしとことりとすずと、さびしいとき、たいりょう、わらい、ほしとたんぽぽ

日本海に面した漁師町(現在、山口県長門市仙崎)に生まれ育った金子みすゞは、26歳で短い生涯を終えるまでに500篇ほどの詩を残しました。彼女の鋭い感受性によって身の回りの日常が優しく唄われています。

♪若林千春編曲による春の歌 牧場の朝(作曲:船橋栄吉 文部省唱歌)浜千鳥(作曲:弘田龍太郎 作詞:鹿島鳴秋)春の小川(作曲:岡野貞一 作詞:高野辰之)てるてる坊主(作曲:中山晋平 作詞:浅原鏡村)山の歌(作曲:長谷川良夫作詞:久保田宵二)

若林千春編曲による唱歌で四季をめぐります。シューベルト風の前奏で始まる「春の小川」、「てるてる坊主」に「雨が降ります」が隠れていたり、洒落た編曲を編曲者自身の華麗なピアノとともに歌いました。

旧東京音楽学校奏楽堂は2013年4月から耐震・老朽の調査をし、その後その工事に入るため暫く閉館されます。

その間、私たち菊田女声演奏会の会場もロードに出なければなりません。

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6/24 梅の甘露煮

お庭で採れた青梅を頂きました。甘酸っぱい香りが漂っています。

甘露煮とジャムにしました。水洗いした後、なり口のヘタを竹串で取り、丁寧に穴をあけます。手をつけられる程の湯で静かに混ぜながら3回茹でこぼし、やわらかくなった梅に砂糖水を注ぎ、アクを取りながら煮詰めます。

梅の実はとてもデリケ-ト、茹でている間に皮が崩れてしまったものは、種を取り除いてジャムにしました。

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実家の庭にも梅の木があります。この時期、亡き母が収穫した梅の実をご近所にお裾分けしたり、梅酒、梅シロップ、梅干し、梅ジャムに加工していました。

おばあちゃん大好き娘は、出来上がった梅ジャムの香りにおばあちゃん製の種入り梅ジャムを懐かしく思い出しています。

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6/17 ルバーブジャム

お菓子の先生をしている友人から、生のルバーブが届きました。

昨年はジャムにしたものを頂きましたが、今年はレシピ付きで「作ってみなさい!」ということらしいのです。

早速、レシピ通りに煮ました。

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ルバーブは赤い蕗のようなもの、2㎝程に切ってお砂糖をまぶし、水分が出るまで置きます。煮始めるまでは、これがジャムになるのだろうか?という状態でしたが、10分ほどで煮とけてきてアクを取りながら煮詰めると、酸味の効いた色鮮やかな夏のジャムが出来上がりました。

ヨーロッパでも出盛りのようです。ドイツの市場にもルバーブを売っていました。

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6/15 同志社講座 2012 春学期

ハンサムカップル「新島襄と八重」の3回目、「兄 山本覚馬と前夫 川崎尚之助」です。

<川崎尚之助>但馬出石藩(藩医)出身の砲術家、洋学者。江戸で修行中に覚馬に目をかけられ、日新館蘭学所教授となり、山本家に寄宿します。兄 覚馬は尚之助が八重と結婚し、山本家の人間となれば、会津藩士になる道が開けると考え、八重が19歳の時に結婚しますが、数年後の戊辰戦争(会津戦争)後に離別しました。

<山本覚馬>砲術師範で洋学者(日新館教授)の覚馬は、会津藩主 松平容保の京都守護職就任に伴い、上洛します。鳥羽・伏見の戦いで敗れ薩摩藩邸に幽囚されましたが、その間、管見(建白書)を口述筆記し、薩摩藩邸に提出しました。

新政府の岩倉具視や西郷隆盛たちから高い評価を受け、京都府顧問(槇村正直知事のアドヴァイザー)に抜擢されます。

日本初の公立女学校女紅場を開校し、妹八重を舎監兼講師にしました。又、日本初の博覧会を誘致し、外国人観光客、入洛した阪神地方の宣教師(アメリカン・ボード)と接触します。M.L.ゴードンからもらった「天道溯原」を読み、キリスト教を理解します。1875年4月博覧会見物に訪れた新島襄と出会い、その後、自宅に住まわせました。同志社英学校の創設にに協力、私塾開業願は山本覚馬と新島襄の連名、京都府の認可、校地確保に関わり、同志社と命名しました。

17歳年上の覚馬は八重の父親代わりとなり、新島襄との結婚にも係わりました。

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6/09 バッハの軌跡を辿る旅<番外編>

ドイツは鉄道網も充実しています。ヨーロッパで最も大きなライプツィヒ中央駅、行き止まり式のドームをもつ始発終着駅(小田急線の新宿駅、東横線の渋谷駅、阪急の梅田駅・・・)です。

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駅前にはVWやベンツ、オペルのタクシーが待機していました。

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ライプツィヒとドレスデンでは、なるべくタクシーを使わず、路面電車トラム、バス、徒歩で移動しました。

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6月は新緑の季節です。薔薇が満開、菩提樹の花が咲き、さくらんぼも色づいていました。

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ライン川ほとりのおみやげものやさん、年中クリスマス用品を売っています。

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ワイマールの広場の青空市場、ホワイトアスパラガスのシーズンでした。

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食事も美味しく、たくさん頂きました。朝食、じゃがいものスープ、サーモンのマリネ、ハンバーグと

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アイスクリーム、カスタードクリームのデザート、そして黒ビールと白ワインです。

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お買い物はアイゼナハの木のおもちゃ屋さん、ライプツィヒ中央駅とドレスデンのスーパーマーケット、アイゼナハとライプツィヒのバッハハウスなどで。

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アドヴェントカレンダー、木のクリスマスツリー、ミニチュア食器、ヴァルトブルク城のトランプとペンダントトップ、オルゴール(神は我がやぐら)、バッハ印のしおり、鉛筆、ペーパークリップ、メガネケースなど、絵葉書、CD(聖トーマス教会合唱団、バッハのオルガン、メンデルスゾーンのオルガンなど)

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バウムクーヘン、シュピッツェバウムクーヘン、RITTERのチョコ各種、ミントのスティックチョコ、ウエハース2種、そしてなぜかキットカット・・・。

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税関でひと悶着したホワイトアスパラガスの瓶詰め、ソーセージ、コーンビーフ、ニシンの酢漬け、オイルサーディン、レバーペーストの缶詰、じゃがいもなどのスープミックス、紫キャベツの酢漬け・・・。

旧東ドイツの都市を巡った今回の旅、第二次世界大戦で激しく破壊された歴史的な建物のがれきをパズルのように大切に組み合わせて忠実に復元、戦後67年、東西統一後22年経って漸く復興したような様子でした。

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6/08 バッハの軌跡を辿る旅<ドレスデン>

かつて「百塔の都」と言われたエルベ川のほとりの美しい街ドレスデンです。

バッハがオルガン演奏を行ったフラウエン(聖母)教会は直径25mの大ドームをもつドイツ最大のプロテスタント教会でした。1945年2月13日、一夜にして破壊され、戦争の悲惨さを伝えるために廃墟のままにされていましたが、1994年に再建が始まり、2005年10月30日に昔の姿が蘇ります。

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教会の豪華な内部を眺めながら塔の展望台まで上がりました。

エルベ川の対岸のノイシュタット(新市街)、エルベ川を渡る路面電車、2006年に修復工事が終了したドレスデン城など・・・、見事な景色です。

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ドレスデン城北側の中庭にあり、ヨーロッパ最古の武芸競技場シュタールホールの外壁には、マイセン磁器のタイル25000枚を使って描かれた長さ101mの「君主の行列」という壁画があります。1123年から1904年までのザクセン君主の騎馬像や時代を飾った芸術家達93名が描かれています。

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街角では楽器の演奏をしている人たちも見かけます。トランペットとトローンボーンの3人組から聴こえてくるをアヴェ・ヴェルム・コルプスに合せて歌うと、「ありがとう」と日本語が返ってきました。音楽を通じて小さな交流です。

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ヒルトンホテルの1階にある陶器のマイセンショップと、ドレスデンが発祥の地と言われるバウムクーヘンの老舗クロイツカムです。

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バウムクーヘンとチョコをコーティングしたシュピッツェバウムクーヘンを買って来ました。

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6/07 バッハの軌跡を辿る旅<バッハ音楽祭>

今年は聖トーマス教会合唱団が創立されて800年になります。ライプチヒの街は駅も通りもバッハづくしです。

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ゲヴァントハウスはライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地、民間のオーケストラとしては世界最古で、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、シュトラウス、フルトヴェングラーが指揮者として活躍しました。

戦災で破壊され、1981年に再建されます。コンサートを聴きました。

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指揮:G.ペーリヴァニアン ピアノ:N.トカレフ 管弦楽:ゲヴァントハウス管弦楽団

♪ J.S.バッハ:シャコンヌ・パルティータ№2 ♪ S.ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 Op.30 ♪ S.プロコフィエフ:交響曲第7番 嬰ハ短調 作品131

その後、エヴェンゲリッシュ教会では16世記~17世記の作曲家N.A.Strungk、S.Scheidt、J.H.Schein、B.Fritsch、J.Theile、J.Rosenmuller、M.Praetoriusを古楽器の演奏で聴きました。

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6/07 バッハの軌跡を辿る旅<ライプツィヒ>

バッハが1723年から聖トーマス教会のカントールを務めたライプツィヒです。

1989年、東ドイツの民主化を求める運動が、ここライプツィヒのニコライ教会に集まった人々のデモから始まり、ドイツ統一の第一歩になりました。

聖トーマス教会は1496年に献堂され、1539年ペンテコステ主日にはマルティン・ルターも説教したことがあります。もとはカトリック教会でしたが、現在はルター派に属するプロテスタント教会です。

バッハは教会暦に合わせて毎週の礼拝のために、年間約50曲のカンタータを作り続けました。マタイ受難曲など数々の名曲が生まれます。

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聖トーマス教会では、夜に予定されているバッハ音楽祭オープニングコンサート(指揮:G.C.ビラー 合唱:聖トーマス教会合唱団、ライプツィヒ大学合唱団管弦楽ゲヴァントハウス管弦楽団)のリハーサル中でした。

大バッハがカントール・オルガニストとして活躍していた同じ空間に居ると思うと、ゾクゾクしてきます。

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バッハは聖ヨハネス教会に埋葬されていましたが、第二次世界対戦で破壊されたので、聖トーマス教会に移されました。

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会堂正面の19世紀後半に設置されたロマンティック・オルガンと、2000年に設置されたバッハの時代のものを再現したバッハマークがついたオルガンです。

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メンデルスゾーンが建てたバッハの胸像と聖トーマス教会前のバッハ像、上着の左ポケットの中身が外に出ているのは、「金がない」ことをアピール、又、ベストのボタンがひとつ外れたままになっているのは指揮棒をサッとしまうため・・・という説があります。

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次にライプツィヒ音楽院を創設、作曲家、指揮者として活躍したメンデルスゾーンが最期を過ごした家です。

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メンデルスゾーンは1750年バッハの死去以後、忘れられていたマタイ受難曲の楽譜をし、ベルリンで事前公演をしました。

作曲部屋と書斎です。

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ライプチヒ音楽院で学んだ滝廉太郎の像の前では、彼の作曲した「花」を合唱しました。

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6/06 バッハの軌跡を辿る旅<ワイマール>

1919年、ワイマール憲法という民主的な憲法が制定され、ドイツで最初の共和国が誕生したワイマールは、バッハが宮廷オルガニストとして務めた街です。

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バッハの住居跡は第二次世界大戦の爆撃に合いましたが、壁には「ここにバッハが住み、ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルが産まれた」との記念プレートがかかっています。

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又、ゲーテやシラーも活躍した文化都市、ゲーテのファウストやシラーのウィリアム・テルが初演された国民劇場です。

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広場には出盛りの野菜や果物が並べられています。

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1848年~1861年をワイマールで宮廷楽士長となったリストが住んでいたリストハウスも訪ねました。

楽譜や作曲に使ったピアノ、10度(例えばドからミ)の音程を軽々と押えられた超絶技巧のピアノの魔術師リストの手の石膏型が展示されています。

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ワイマールからライプツィヒに向かう途中、ヘンデルハウスのあるハレの街に寄りました。アウトバーンの沿道は牧草畑に風力発電用の風車、小麦畑は黄色く色づいています。

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生涯、中部ドイツ チューリンゲンを出ることなく活躍したバッハと、広くヨーロッパ中を旅し最期はイギリスに帰化したヘンデルは、バッハと同じ年1685年2月23日に生まれました。そして、2人は1度も会うことはありませんでした。

博物館になっている生家と洗礼を受けた聖母教会です。

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楽器のコレクションも見ることが出来ます。

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6/05 バッハの軌跡を辿る旅<アイゼナハ>

アイゼナハはJ.S.バッハの生地、1685年3月21日、楽士の末っ子として生まれました。バッハハウス(博物館)があります。

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1階が小さなホール、クラヴィコードやチェンバーオルガンの演奏を聴くことが出来ます。オルガンのふいごに空気を送る係は観客に指名されました。

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2階は展示室になっていて、子沢山だったJ.S.バッハ家の系図や住居の居間、台所や寝室、バッハと同時代の貴重な古楽器や楽譜を見ることが出来ます。

庭にはバッハの像、そしてその後ろに聖セシリア(彼女は教会音楽とオルガニスト」の守護聖人)のレリーフを見つけました。帰って29日の女声合唱の演奏会では聖セシリアのミサ(C.グノー)を歌うことになっています。

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マルティン・ルターがラテン語学校に通っていた頃に住んでいたルターハウス、とバッハとルターに縁の聖ゲオルグ教会です。

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アイゼナハの旧市街を見下ろす岩山に1067年頃にテューリンゲンの伯爵ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーによって創建された世界遺産ヴァルトブルク城があります。

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この城は、宮廷文化が華やかな頃(1207年頃)吟遊詩人による歌合戦(ヴァーグナーの歌劇タンホイザーの題材になった)や、方伯ルートヴィヒ4世の妃として1211年にハンガリー王家から嫁いできたエリーザベトの住居として有名で、騎士の間、食事の間、礼拝堂、エリーザベトの回廊、歌合戦の広間、祝宴の広間など豪華な美しさに圧倒されるような主要部分と

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1521年5月から翌年3月の10ヶ月間、宗教改革者のマルティン・ルターが身を隠して、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に訳した質素な部屋も残っています。

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カトリックから枝分かれしたプロテスタントの信仰の原点はここにある!と感慨深いものがありました。

   

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6/04 バッハの軌跡を辿る旅<ライン川クルーズ>

3日(日)お昼に成田を出発、夕方にドイツのフランクフルトに着きました。実際は11時間半程かかっています。

4日(月)朝、バスでリューデスハイム(船着場)まで行き、ザンクト・ゴアールまで古城やぶどう畑を見ながらライン川クルーズを楽しみました。

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ライン川のローレライ付近は流れが速く、水面下に多くの岩が潜んでいるため、かつては航行中の舟が事故を起こした場所でした。航行の難所であったことが、ローレライにたたずむ美しい少女に先頭が魅せられ、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまうという伝説になります

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今回のツアー参加者はY先生を中心とした6合唱団のメンバーです。前もってローレライの楽譜とハイネの詩によるドイツ語歌詞の逐語訳、音源が配布されました。クルーズ中に暗譜で歌えるようにとのお達しがあり、総勢28名の混声四部合唱で歌いました。

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ライン川沿いザンクト・ゴアールの街の消防車とポンプです。

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この日のランチはニジマスのムニエルと山盛りのじゃがいもでした。

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6/01 三陸産のわかめ

Img_6753_2 昨年3月のあの日から姿を消していた岩手県三陸海岸のわかめです。

その間、鳴門の美味しいわかめを頂いたりしていました。

東日本大震災の津波で流されたわかめが、1年2ヶ月経って復活したようです。

早速、注文しました。

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