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9/21 同志社講座2012 春学期

ハンサムカップル「新島襄と八重」春学期最終回、「襄と八重の巡り合い」です。

Ⅰ会津・米沢時代(1845~1871)

会津藩士、砲術師範の山本家に生まれる。父は権八、母は佐久、兄覚馬の影響を強く受けて育ちます。

兄覚馬は江戸、長崎で佐久間象山、勝海舟、武田斐三郎らと洋学を学び、会津藩校日新館教授になりました。江戸で砲術と洋学を勉強中の川崎尚之助(但馬出石藩士)を日新館教授に招き、会津の山本家に下宿させます。後に八重の最初の夫になりました。覚馬は会津藩主松平容保の京都守護職就任に伴い入洛し、戊辰戦争(蛤門の変、鳥羽伏見の戦い)を指揮して敗れ、薩摩藩邸(現 同志社今出川校地)に幽囚されました。幽囚中に「管見」(建白書)をまとめ、その内容の国際性、開明性が認められて、新政府の京都府顧問に就任します。

八重は戊辰戦争では会津城に篭って戦いました(会津のジャンヌ・ダルク)が、父と弟は戦死、敗者となり川崎尚之助と離縁して、母、伯母、姪と米沢の内藤新一郎のもとで避難生活を送ります。その後、京都府顧問になった兄覚馬を頼って京都へ向かいます。

Ⅱ京都時代((1871~1890)

京都では、兄の勧めでキリスト教と英語を学びます。日本で初めて公立の女子教育を始めた女紅場(現 府立鴨沂高校)の舎監になりました。

その頃、新島襄は大阪川口で英学校開設の準備を始めますがうまく行かず、博覧会見物に京都へやって来ます。宣教師ゴードンの家に滞在中、八重と出会い、その後、八重は襄から聖書を学びます。10月15日に婚約、11月29日同志社開校、翌1876年1月2日受洗(京都で初めてのプロテスタント信者誕生)、1月3日結婚(京都で初めてのプロテスタント式結婚式)、校長夫人、牧師夫人となりました。

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