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9/21 大磯まち歩きと講演会

大河ドラマ「八重の桜」で盛り上がる新島襄ゆかりの大磯のまち歩き(NPO法人大磯ガイドボランティア協会主催)に参加しました。

新島襄の理想に共鳴し彼を支援、自らも人材育成に情熱を傾けた明治の偉人たちの足跡を訪ねます。

大磯駅前エリザベスサンダースホームのステパノ広場に集合し、ボランティアのガイドさんの案内で、最高気温30度の中を出発しました。

09_21 松本順(初代陸軍軍医総監)鈴木海四郎(実業家・晩成社を設け人材育成)の墓地のある妙大寺⇒西園寺公望(徳大寺家出身の公家でリベラルな政治家)邸⇒伊藤博文(初代内閣総理大臣、岩倉使節団に同行、新島襄の大学設立を支援)の自宅「滄浪閣」⇒鍋島直大(佐賀藩最後の藩主、娘信子は会津の殿様松平容保の六男に嫁ぐ。その長女節子は秩父宮妃となる。)⇒大隈重信(第8代、第17代内閣総理大臣、早稲田大学創設者、新島襄の教育理念に感銘し、大学設立を資金援助)⇒陸奥宗光(第2次伊藤内閣の外務大臣、大学設立運動に理解を示し、支援。)⇒徳川義禮・義恕(尾張藩最後の藩主徳川慶勝の養子、会津藩主松平容保の甥)

1889年12月、前橋で倒れた新島襄は弟子の徳富蘇峰の勧めで療養のため大磯に行き、百足屋旅館の離れで療養していましたが、1890年1月23日に八重に見守られて旅立ちました。

午後は山の上のステパノ学園海の見えるホールで、「新島襄と八重」と題して、保坂正康氏(同志社大学S38年卒)の講演を聞きました。

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ステージの向こうは全面ガラスで、大磯の浜が眺められます。

新島襄は19歳の時に函館から密航してアメリカに渡り、ボストンの篤志家ハーディー夫妻の援助を受けてキリスト教の信仰のもとに大学教育を受けます。キリスト教の信仰を土台に据えて独立独歩の精神、市民としての強い自覚を持って大学教育の先達の役割を果たすことになりました。明治8年11月同志社英学校を設立します。この時、建学の精神、理想が実現されるには200年要すると考えました。

幕末のジャンヌ・ダルクと言われ、銃をもって鶴ケ城に立てこもって最後まで会津戊辰戦争で戦った八重ですが、その苦しみから救いを求めてキリスト教徒となり、新島襄の妻となって女子教育に従事、襄亡き後は裏千家で茶道を極め、日本赤十字社正社員となって日清・日露戦争に篤志看護婦として従軍、社会奉仕事業に献身する道を歩みました。

今年は同志社創立138年、新島襄の建学の精神は受け継がれているのでしょうか?200年までに残された62年で理想は実現されるのでしょうか?

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